出口のないお花畑に迷い込んで

あなたがそこにいてくれるから

終わりではなく再会の合言葉?

2019年1月17日

大切な大切な時計が止まった。



2019年8月8日

一歩も前に進むことのできないわたしの目に飛び込んできたのは、4文字の言葉だった。



ずっとずっと、待ち望んでいたはずのものだった。ずっとずっと、辿り着きたいと思っていた場所だった。

でも、いざその言葉を目にしたとき、感情が生まれるよりも先にしたのは、「人数を数える」ことだった。

1ミリも嬉しくなかった。まったく喜べなかった。盛り上がるTLを見て、流れるお祝いの文を見て、あっこれはおめでたいことなんだ、とぼんやり思った。それほどに「無」だった。






その時が来たら、思いっ切り泣いて、涙でぼろぼろの顔で思いっ切り笑って、おめでとう!!!!!!って叫ぶのが夢だった。
そのためなら、なんだってやってやるくらいの気持ちで、今までを生きてきた。
けれどその夢は儚く散ってしまったし、思い描いていたその光景は、まったく別のものに成り代わってしまった。






発表の一週間ほど前、「別れの歌」を聴いた。他の人がどう思ったのかはわからないし、どんな気持ちで歌っていたのかもわからないけど、「プレゼント」だと言われたその曲は、わたしにとっては紛れもなく「決別の歌」だった。



たしかにしあわせな時間を共有していたはずのだいすきな人たちが、大切な大切な思い出を、消えますようにと歌った。願いは叶わないまま消えたと、新しい道に行くからさよならと歌った。



あ、もう無理なんだなと思った。必要とされていないのだと。時計の針を進めることができないわたしは、同じ方向を向くことができないわたしは、もういらないんだなと思った。ただだいすきなだけでは、ついて行ってはいけないのだと悟った。もうここには居場所がないんだとわかった。












もう、あなたの言う「みんな」のなかに、きっとわたしはいないから。












すきだと自覚してから今日まで、一日たりともきらいだと思ったことなんて、すきじゃないと思ったことなんてなかった。
でも、いつしか、だいすきはかなしいだけのものになった。
次々に決まっていくおしごとも、ひとつも嬉しくなかった。喜ばしいはずのできごとが、ただただかなしかった。
日々、周りとの温度差を感じていった。どんどん息ができなくなっていった。



ただだいすきなだけなのに、くるしくてかなしい毎日を過ごすのはあまりにつらかった。






なによりも、そんな自分が嫌で、だいきらいでたまらなくて、毎日しにたかった。










でもそれも、もうおしまい。
ほんとうは、これからもずっとそばにいたいけれど。
新しい姿を受け入れ、愛してくれる人たちとともに、未来に羽ばたいていく。
おめでとうも言えないわたしには、そこについて行く資格はないから。
あの日の決別の歌を心にナイフで刻みつけて、わたしはここに残るね。












今までありがとう。
たくさんのしあわせをありがとう。
たくさん愛してくれてありがとう。
あなたたちと過ごした日々は、ほんとうにしあわせなものでした。たくさんのしあわせな思い出を、わたしは忘れることなんてできないから。消すことなんてできないから。あの日止まったままの時計は鍵をかけてしまっておくね。
これからもきっと某キャラたちを見てはあなたたちを想うし、お味噌汁の大根を見ては「大こん」って思うし、某お菓子や某ファミレスを見てもあなたたちとの思い出を懐かしむだろうけど、それくらいは許してくれるかな。
ほんとうにほんとうにだいすきでした。
しにたくなるほどに。今でも涙が溢れるほどに。
これからもきっとずっと。











だいすきがかなしくなくなったら、また、一緒にいろんな景色を見てもいいかな。
また、ファンだって名乗ってもいいかな。
だいすきだって言ってもいいかな。












いつかまた、わくわくどきどきしながら会いに行けたらいいな。
だいすきだと笑えたらいいな。






その日まで、さよなら。